櫓を漕ぐ母・・・
師走に入り、担当の利用者(Y)さんが、97才と11ヶ月の人生に静かに幕を降ろされた。
その顔は、まるで、眠られているように優しく、穏やか・・・そして、2人の娘さんと、お嫁さんが、眼を真っ赤にしながら、側に寄り添っておられた。
Yさんは、素敵なお母様だったのであろう。家族様は、毎日のように面会に来られ、Yさんに寄り添われていた。その光景を眼にする度に、私たちは、温かい気持ちになり、2人の息子をもつ母親でもある私などは、「私は、はたして、子供達に、あんなに愛される母親になれるだろうか。どうしたら、そうなれるんだろう?」なんて自問自答の毎日であった。
そんな日々が経過する中、娘さんのお一人が、担当介護職員に、3ページにわたる書き物を手渡して下さった。
「母に時々、これを読んで聞かせてやって・・・」と・・・
そこには、Yさんが75才・90才に書かれた手記
(それは、随所にYさんの知性が満ちあふれる素敵なエッセイ)と俳句
最後のページには、娘さんがYさんに寄り添ったここ1ヶ月の想いが赤裸々に綴られており、その文面を眼にした時、胸がとても熱くなった。
以下、娘さんの書かれたエッセイから・・・
櫓を漕ぐ母(97才と11ヶ月)
「嫁いだ娘たちに迷惑はかけられん」5年前、車椅子になった母は、香住の故郷を売って大阪の施設に入った。
中略
母は、紙オムツになった次の日から、それまで残さず食べていた3度の食事に箸を付けなくなった。大好きなアイスクリームにも
「働いとらんしけ腹が空かんだ」と、歯をくいしばって首を振った。点滴の注射針が、場所を変えながら母の命を繋ぐ。
中略
「もう1度、母に故郷を見せてやりたい。」私は、その足で、電気店に直行した。買ったのは、プロジェクター付きの最新型ビデオで映画のように壁に投影できる。母の寝ているベットの横の壁は、スクリーンの様に真っ白で凹凸が無い。
あそこに母の大好きな故郷の海を持って行こう。今の私に出来ることが見つかった。
撮りためていた映像から水玉の青いワンピースを探す。
中略
部屋の電気を消してカーテンを引いた。白い壁が一瞬で輝く夏の海に代わった。
「お母ちゃん、海、海だよ。目を開けて!」
2週間閉じられていた母の目が目ヤニを伸ばして開かれた。櫓とロープの擦れ合う音を、水面に飛び交うウミネコの鳴き声が消す。
「ほんまだ・・あれは私だ。ワンピースを着て櫓を漕いどるんは私だがな」
と母が手を合わせて涙を溜める。
中略
次の朝、母は、自ら箸を持って食事に手を付けた。
「おいしいしけ、もうちょっと生きてみるわ。」
施設の皆さんに支えてもらいながら、母のもうちょっとが引き延ばされる。正月の3日で98才。100才までは、ちょっと足りない。
以上、ここで終わる。
Yさんは、お誕生日を迎えることはできなかったが、こんな素敵な時間を家族様と過ごされたんだと思うと、胸が本当に熱くなった。
この施設には、Yさんのようにご家族の愛に包まれておられる方ばかりではない。身寄りのない方も少なからずおられる。私達は、今一度、利用者の方々の「この時」に何ができるか?何を必要とされているか?模索する必要があるのではないだろうか・・・